作・演出:畠山 貴憲
1958年、沖縄が初めて甲子園に出場した年。
戦後、アメリカの統治下にありながら、本土・ヤマトの甲子園に出場する祈願を果たした、沖縄人・ウチナンチュの軌跡を描く。
1945年、大東亜戦争終結。日本は負けた。
1952年、サンフランシスコ講和条約によって沖縄は日本から切り離され、アメリカの統治下に置かれた。しかし、高校野球に関しては、同年、米国民政府の特例措置により、甲子園への参加を許されたのである。しかしそれは、沖縄高校球児にとって、大きなハンディを背負った中での甲子園復帰であったのだ。ユニフォームは払い下げ。ボールもボロボロ、食糧難ゆえに生徒達の体格も本土の高校生に比べれば、可哀想なくらい小さかった・・・
1955年、沖縄に高校野球連盟を作り、沖縄のレベルアップをはかった5人のメンバーがいた。首里高校野球部監督・金城、糸満高校野球部部長・糸数、首里高校校長兼沖縄高校体育連盟会長・山口、那覇高校社会科教師・島袋、新聞社運動部記者・仲宗根。
彼らは手探りで高校球連を運営しながら、野球の指導に尽力する。米軍機が低空飛行する中、それでも生徒達とともに、ボコボコのグラウンドで練習に励むのである。
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